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江戸時代の豪商の暮らしぶりを感じる、織田信長の家老屋敷、むろやの園 ~ 地域の歴史(2)

「移住定住コンシェルジュ(柳井市)」サポーターの泉です。
山口県柳井市の観光ボランティアガイドをしています。
この記事では、織田信長の家老であった小田家の屋敷、むろやの園(その)をご紹介します。
この記事を見てご来場された方は、「note見ました!」と言っていただけると嬉しいです。

元禄14年(1701年)建築の家屋が現存

むろやの園は、山口県の指定有形民俗文化財であり、西日本でも有数の油商であった小田家の屋敷です。南北に119mの奥行き、屋敷面積は約800坪もあり、現存する町屋の中でも最大級といわれています。当時の生活用具や、数多く訪れていたという文人(今でいうと作家)や墨客(今でいうと書道家)等が残した文書等の一部が展示されています。

織田信長の家老だった小田家

館内にある「むろやの園の生い立ち」によると、元々の小田家は、織田信長の家老で紀州に住んでいましたが、本能寺の変の後、柳井に居を構え、小田姓となり、油商を営む豪商となっていきました。財力を活かし、岩国の吉川家の御殿様から武士の身分をいただいていたため、蔵の中には「甲冑」があり、武家の使用人である「中間(ちゅうげん)」を置くことができました。そのため、今でも「中間部屋」が残っています。

柳井に佇む江戸の大邸宅

むろやの園では、江戸時代からの調度品、お雛様、五月人形等が現存していたり、居間の天井は屋久杉だったりと、江戸時代の豪商の暮らしぶりを感じることができます。

毎年2~3月に展示されるお雛様は、商都柳井おひなさま巡りの展示物のひとつ。明治23年のお雛様は、周防銀行代表取締役だった第7代小田家当主・伴輔が長女のために購入したものです。

この伴輔氏の名前は、柳井市町並み資料館裏手の「道路寄附者名簿」の一番目に見ることができます。寄附金額はなんと3千円!当時は500円で家を一軒建てることができたそうですから、驚きの金額です。名簿には銀行の名前も刻まれていますが、例えば百十銀行の寄附金額は1,200円、住友銀行は500円。名だたる銀行よりも多くの寄附ができるところからも、当時のお金持ちぶりがすごかったことが想像できます。2番目の「東條ハナ」氏はどんな方だったのかも気になるところ。

五月人形は、明治28年、第8代光伴氏が生まれた時に、第7代伴輔氏が誂えたもの。三種の神器や家紋入りの幕があり、人形も大きく、また種類も多くなっています。お雛様と同様、昔はセット売りではなかったと考えられ、さまざまな人形や小物が見てとれます。損傷が著しいものは未展示のため、本来はもっと多くの人形などが飾られていたということになります。

現在、裏の長屋門の前には柳井川が流れていますが、その昔は海でした。当時むろやは、50艘もの船を持っていて、海から商いの品を運んできては、門のあたりで積み下ろしをしていました。目を瞑って、船が往来していたその当時に思いを馳せてみるのはいかがでしょうか。

むろやの園を楽しむ

むろやの園では現在、明治から昭和初期の教科書を展示しています。特に小学校の唱歌の教科書は保存状態がとても良く、ぜひ見ていただきたいと思います。そのほか、昔の柳井の写真もあり、大変貴重な史料が数多く保存されています。現存する町屋の中で最大級の敷地面積を誇るむろやですが、家屋全体はもちろん、帳場や客間の広さ、天井の高さ、欄間の意匠、本瓦と平瓦の違い、面取りされた廊下の板、12畳半の客間奥の杉板に描かれた白孔雀の絵なども必見です。
また、館内の梅や桃、さつきなど、季節の花や緑も楽しめます。

新緑が映えている庭の様子

歴史や季節を感じ、当時の暮らしに想いを馳せる。むろやの園にはさまざまな魅力がつまっています。
ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

【所在地】    柳井市柳井津金屋439
【開館時間】  9時00分~17時00分
【休館日】    月~木曜日 年末年始(イベント・団体等は定休日入館応相談)
【入館料】    大学生以上600円、中・高校生450円、小学生以下400円(団体割引あり)
【Tel】     0820-22-0016

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本記事は、2024年7月時点の情報になります。詳しくお知りになりたい方は、上記の連絡先に直接ご連絡ください。
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