見出し画像

瀬戸内の離島での、二拠点生活という暮らし方~障がい者のグループホームを運営する井上さん

「移住定住コンシェルジュ(柳井市)」の川邊です。
この記事では、山口県内で一番大きい瀬戸内の離島・平郡島(へいぐんとう)で知的障がい者のグループホームを運営する、井上さんをご紹介します。

知的障がい者のグループホームを平郡島に立ち上げる

平郡島で生まれ育った井上さん。
小・中学校を卒業し、高校入学を機に島を離れてから、大学、そして就職・結婚・子育てと、東京・東海・東北・関西を忙しく飛び回る生活を続けていました。
頭の片隅には、「いつか生まれ故郷の平郡島へ戻るんだろうな...」というばくぜんとした思いはあったものの、具体的なことを考えたり移住への行動を進めることなくずっと都会での暮らしをしていました。

40代半ばを過ぎてまもなくのそんな時、認知症が始まっていたお父さんと、知的障がいをもつお兄さんの介護を平郡島でしていたお母さんが、大けがをして介護ができなくなってしまいました。
「今になって考えれば、母が大けがをすることで、自分は島に呼び戻されたのかもしれないと思ったりします」と当時のことを振りかえる井上さん。
知的障がいを持つご家族と一緒に平郡島で暮らしたい、そのためにどうしたらいいのかを考えたことがきっかけで、自ら知的障がい者のグループホームを平郡島で立ち上げ、運営することになったのです。

知的障がい者のグループホーム「島の学園」

二拠点生活という暮らし方

現在井上さんは、「ひと月の25日は平郡島、残りの5日は東京」という生活を基本にしているそう。
平郡島にいる間は、グループホーム運営の仕事のほか、趣味と実益を兼ねた釣りや、平郡島を守る活動などをして、おだやかながら忙しく暮らしています。
一方東京では、大好きな落語の寄席めぐり、アメフト観戦、食べ歩きや東京時代の仲間との飲み会、ラーメン屋さんめぐりなど、都会でしかできない生活を楽しんでいるそうです。

二拠点生活の魅力を語る井上さん

二拠点生活を満喫している井上さんの言葉は印象的でした。

”平郡島を出て、島外の高校に行った時、大学進学や就職で東京や関西で暮らし始めた時、田舎出身であることを正直どこかで恥ずかしく思っていました。けれど、今では、日本の中でもいちばんとも言えるくらい田舎の平郡島と、最も都会の東京、両極端の暮らしを経験していることで、人生を2倍楽しめていると思っています。
東京は東京にしかない楽しさがたくさんあるし、逆に東京に行くからこそ、あたり前になっていた平郡の良さの発見がある。たとえば単純に空気がきれいだなーとか、生きる糧として作物を育て収穫したり、害獣や魚・イカを獲るという命のやり取りをしたりすることとか。その体験は、やってみた人にしかわからない人生の宝物だと思います。

平郡と東京を往復するからこそ、それまでは気づかなかった田舎と都会の良さを深く実感し、毎日を楽しむことができています。

渋谷のスクランブル交差点で、「今、目の前に1000人くらいの人がいるけれど、この中でイノシシをさばいたことがあるのはオレだけだろうなー」とか、勝手に優越感に浸ったりしてね(笑)。”

東京などの酒屋さんをめぐって探した人気の日本酒を、平郡島に戻って自分で釣ったアジの刺身などの島の食べ物にあわせて飲むのも、井上さんの楽しみのひとつ

二拠点生活をする人をもっと増やしたい

そんな井上さんだからこそ、もっと多くの人にいろんな形での二拠点生活を考えてみてほしいと言います。
井上さんが考える二拠点生活とは、
「年間で1か月分、おおむね30泊以上滞在する場所を、自宅と別に作ってみる」
という状態。

そう考えると、ひとり暮らしで毎週末に実家に帰る人もそうだし、春休みや夏休みなどに、少し長い休みをとって定期的に訪れる場所をつくるのでもよい。

平郡島にも、デイサービスのヘルプで週1回泊まりに来るおじちゃんや、玉ねぎを秋に植えた後の寒い間は街で過ごし、玉ねぎの収穫時期である春に平郡島に戻ってくる方など、広い意味での二拠点生活している人はけっこういらっしゃるそうです。

井上さんは、そんな二拠点生活の1か所を平郡島で、と考えてくれる人をまずは増やしたいと言います。
そのため、長期滞在しやすいゲストハウスの提供をしていたり(宿泊については要相談)、空き家を誰かがすぐに生活できる住宅にする改修を計画したりしているそう。

キッチンから目の前に海!部屋やお手洗いもきれいに改修され、寝具や食器などもひととおりそろったゲストハウス

田舎暮らしにぼんやりと興味がある方。移住や二拠点生活に興味はあるけれど、まずどうすればいいか分からなくて行動に移せないという方。まずは移住定住コンシェルジュとお話しませんか?下記相談窓口までお気軽にご連絡ください。